どこにもない

いえーい

無知

満たされるという事は、いわば飽和状態だ。水に砂糖を溶かすような、含み持つことのできる最大限度に達しそれ以上の余地はない。あってはならない。私はその飽和水溶液の中で、甘ったるい砂糖水の中で、閉ざされた生ぬるい世界で、ひたすらに泳いでいる。満たされるという定義が飽和状態を示すなら、私の感覚そのものがとうの昔にキャパオーバーしてしまったのかもしれない。そして壊れてしまったことにも気付いていない。壊れるという感覚は誰しもが知りえるものではないのだ。私も例外なく、それに当てはまっている。いまこうして文章を書くことも日々の労働も息をすることにすら、なんの疑問も抱かずに時間が積み重なっていく。それは必然であるが漠然としている。これでもかというほど満たされた砂糖水の中で私は苦しみ方すら分からず死ぬのだ。大切にするとは、なんなのだろう。ただ抱くだけではだめなのか。キスするだけではだめなのか。消えない程度に憶えている。だけどもうどんな形だったかも分からないんだ。